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久しぶりの雑記更新です。忙しかった、という言い訳をさせてください。
更新が滞ったことの罪滅ぼしというわけではないのですが(そういうことにしてもらってもいいのですが)、少し前から、新たに舞台の脚本を書き始めています。今回のこのプロジェクトで寄付金を募っているところのソレです。
先月末、団体の制作・運営メンバー(脚本・演出、ダンス指導、音響・照明、事務局)によるミーティングを行いました。
そこではたとえば今年度〜来年度にかけての活動のおおまかな方針についてなどのマクロな議題から、逆に毎回の練習において改善すべきポイントや取り入れていくべきことなどのミクロな、テクニカルな部分の話まで、なんと6時間近くも話し合いました(!)
(6月の公演終了後、校庭の隅にて。 注:今回のミーティングの写真ではありません)
ミーティングではもちろん、次回公演の脚本についても議論を行いました。そのときに感じたのは、といっても舞台をつくるうえでは毎度感じていることなのですが、脚本(それと実際の上演)における内容/表現の両側面について、スタッフ間でのコンセンサスを図るのがとても大変だということです。
とくにひまわりキッズについて特徴的なのは、【劇団運営、制作】/【脚本・演出、ダンス指導】/【出演者】の年代が異なっているということです。それぞれ60代/20〜40代/小・中学生というような感じで。
もうひとつ特徴として、劇として扱う題材が、ジェット機事故や戦争(基地)、小那覇舞天のことなど、歴史的・社会的なものが多いです。
そのことと制作者間の年代の違いが合わさった時、そのテーマに対する意識・価値観・立場、これは必然的に異なってきます。
もちろんその違いの全てが年代に起因するわけではありません。実際、近い世代である人同士でも意見や方針がぶつかることは何度もあります。他にも、演劇観や文化観もそれまでに浴びてきたものの影響で異なるし、それ以外にも多くのファクターが絡んできて、それぞれの違いが合意形成を難しくさせます。
であっても、やっぱり、ひまわりキッズシアターにとっては、劇団およびその公演をプロデュースする者/実際に劇を考えて作っていく者/それを舞台上で演じていく者、この三者間の年齢の違いというのがとても大きいし、そしてそれが決定的に重要なことだと僕は思っています。
さきほども言ったように、この違いは、制作活動の過程で都度必要となる合意形成の機会増加に、かなりの程度影響を与えます。しかしそれよりもさらに重大なのは、「いかに引き継ぐか/いかに伝えるか」という問題を日々突きつけられるということです。
ひまわりキッズシアターで取り扱う題材は、先述したように歴史性・社会性のあるものが多いです。そのなかでも特に、宮森小米軍機墜落事故についての演劇を何度も試行錯誤しながら上演してきました。
事故は1959年6月30日に発生しています。当時小学生だった人たちは、2017年現在では60代後半〜70歳くらいです。その方たちの親の世代となると、さらに高齢になります。
沖縄戦等についての平和学習に際しても同じことが言えますが、体験者やその遺族の人が語る言葉を、下の世代がどうやって引き継いでいくのか、そして、さらに下の世代にどうやって伝えていくのか、それがとても大きな問題になっています。
劇団の運営をするスタッフ(事務局)は、さきほど60代と書きましたが、ジェット機事故の際に宮森小に通っていた「体験者」でもあります。見たこと、感じたこと、それらをどうにか伝え続けていこうとする意志が「体験者」である彼らのなかに強く存在しています。だからこそ、語ること(語ろうとすること)をやめないのだと思います。
でも、一方で、語ることができない、過去の惨劇に触れることをためらってしまう、そんな「体験者」もたくさんいることだと思います。
たとえば、ある体験者が事故によって生じた自分のなかの「悲しさ」というものを必死に伝えようとしている。そこで語られる言葉。そしてそのときの表情、身振り、声の震え、視線の揺れ。それらは聴いている人に強い感情を想起させ、そして身体にも強い作用を及ぼします。肌を粟立てたり、涙をこぼさせたり。
でも、その「悲しさ」を、受け手のものにすることはできません。それはデジタルデータのようにコピー&ペーストして広く流通できる類のものではないからです。体験者の語る「悲しさ」の中には、言語化されたもの以上の深くて大きな「悲しさ」があるからです。
もし仮に僕ら(受け手)が、体験者が語った言葉、表情、身振り、声の震え、視線の揺れ、などをすべて完璧にトレースし、それらの要素を合わせた総体として表現をしてみたところで、体験者の「悲しさ」を復元することはできません。
そしてさらに、語ることのできない、「沈黙」する体験者の抱える「悲しさ」は、どうしたらすくい取ることができるのでしょうか。もし体験者の完全な模倣によって「悲しさ」を復元することが僕らのゴールであるのだとしたら、彼らの「沈黙」は、切り捨ててしまうほかなくなってしまいます。表にあらわれない事柄を、僕らは模倣することなんてできないからです。でも、当たり前のことですが、その「悲しさ」は決して退けていいものではありません。
だからといって、模倣(「悲しさ」の復元)ではなく、まったく別のアプローチを試みたとして、それが体験者から見て、彼ら自身の「悲しさ」を汲み取っているにようには感じられない、という事態が発生しすることは容易に想像できます。体験者が感じていた「悲しさ」が変質してしまう恐れが常につきまとうのです。
でも、じゃあ、どうしたらいいのでしょうか。ここに、「引き継ぐこと/伝えること」の大きな困難があります。
ひまわりキッズシアターという団体構成の特徴(世代の違い、体験/未体験の違い)によって僕に要請されるのは、上の世代(60代;「体験者」)の「語り」を、下の世代(小中学性)に引き継ぐ/伝える、という役割です。そしてそれは、「間に立つ者」として日々その自覚や意識や哲学を問われる立場にあるということです。
個人的には、それはとても苦しいし困難な立場であると感じています。でもその苦しさや困難に向き合い続けることでしか、「引き継ぐこと/伝えること」の大きな問題に接近することはできないでしょう。自分自身の微力さは常日頃実感していることではありますが、どうにか足掻いてみようと思っています。
先月のミーティングでは脚本について、かなりおおざっぱな形での方向性は決まりました。といっても、その内容や表現についてはほとんど一歩も踏み込めていません。その前段階のところで、3時間近く延々と議論が続きました。
これから徐々に脚本ができあがっていくにつれて、その中身についてより活発な議論が起こっていくことと思います。おそらくその中で「引き継ぐこと/伝えること」について、立ち止まって考えなければならないときが何度も出てくるかと思います。
そのときにうまく僕の意図や想いを伝えることができればいいなと思っています。
そのために、次回の雑記から、ここに、書きつつある脚本の内容/表現に関すること、あるいは執筆過程で感じた事柄について、記していけたらと思います。
書き上げた段階からはもう見えなくなってしまうもの、完成に向かう中でこぼれ落ちてしまうもの、それらを微細にここに書きつけることができれば、それが実際に役者を交えて立体化していく過程で活用可能なものになるかと。
というわけで、今後はちゃんと更新します(と、断言してしまったことを後で悔やんでしまいそうです。。。)
プロジェクトオーナー
兼島 拓也(石川ひまわりキッズシアター脚本・演出)